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รายละเอียดคำ

矢田寺 (京都市)

中の金属供出により失われ、1973年(昭和48年)に新鋳された。 本堂 - 軒には「送り鐘」が吊るされ、本堂の奥は庫裏となっている。 山門 かぼちゃ炊き(かぼちゃ供養)の告知。 かぼちゃ供養の詳細を記した看板。 節分(2月3日) 花まつり(4月8日) 精霊送り鐘供養(8月16日) かぼちゃ供養(12月23日)

คำที่เกี่ยวข้อง

矢田寺

塔頭・大門坊の山門左側にあり矢田聖天と呼ばれ、江戸時代中期・宝暦年間に高僧・慈雲尊者により勧請されたと伝わる。 矢田寺念仏院 - 準別格本山。 北僧坊 南僧坊 大門坊 聖天堂 念仏院 木造地蔵菩薩立像 - 矢田寺本尊。 木造地蔵菩薩立像 - 試みの地蔵。 木造阿弥陀如来坐像 木造閻魔王倚像(奈良国立博物館寄託)

福田寺 (京都市下京区)

高倉通万寿寺周辺(現在、京都市下京区福田寺町)を賜ったという。 本尊は阿弥陀三尊を祀る。阿弥陀如来像は、上半身は三尺阿弥陀には珍しく覆肩衣を着けず、衲衣のみで片方の袖しか垂れていないことから「片袖の弥陀」とも呼ばれる。鎌倉期の作。両脇侍は江戸期の作。 本堂内には「乳房地蔵尊」が祀られる。乳の出を良く

吉田 (京都市)

たことを除けば、現在に至るまで吉田地区内の町名の変更・新設はなされていない。 吉田泉殿町(よしだいずみどのちょう) かつての吉田町字「和泉殿」「関田」に相当し、町名はかつてこの近辺に所在していたと伝えられる「吉田泉殿」に由来する。吉田地区の北半部、今出川通りと東大路通りが交差する百万遍交差点の西南

大聖寺 (京都市)

開山は無相定円禅尼。無相定円は俗名を日野宣子といい、足利義満正室・日野業子の叔母であり、後光厳天皇の典侍である。定円禅尼は貞治7年(1368年)に光厳法皇の法事が天龍寺で行われた際、春屋妙葩を導師として落飾(出家)した。足利義満は花の御所(足利将軍邸)内の岡松殿に定円禅尼を住まわせた。無相定円

雙林寺 (京都市)

雙林寺(そうりんじ)は、京都市東山区鷲尾町にある天台宗の寺院。山号は霊鷲山(または金玉山)。院号は法華三昧無量寿院。寺号は正しくは沙羅双樹林寺という。本尊は薬師如来、大聖歓喜天。 天台宗の最澄が唐から帰朝後、宮中において、天下泰平・国体安穏・万民快楽の大祈祷を奉修されたのが我が国初の護摩供である。そ

天寧寺 (京都市)

絹本墨画馬祖龐居士問答図 愚極智慧賛(ばそほうこじもんどうず / ぐごくちえさん) 銹絵水仙文茶碗 仁清作 京都府京都市北区寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町301 京都市営地下鉄 鞍馬口駅から徒歩6分 京都市営バス 出雲路橋から徒歩5分 天寧寺 (会津若松市) 天寧寺 (仙北市) 天寧寺(駒札) 京都観光Navi 表示 編集

大雲寺 (京都市)

文範がこれを見て山を下り、霊雲の谷(岩倉)に至った。そこで老尼(石座明神)と出逢い、その地が観音浄土の地と知り、伽藍建立の適地として喜んだ。このことが時の天皇の耳に達し、文範が真覚上人を開祖として創建したのに始まると伝えられ、園城寺(三井寺)の有力な別院であった。文範

禅林寺 (京都市)

智福院 - 塔頭。 松岳院 - 塔頭。 北門 総門 - 天保11年(1840年)再建。 御影堂とモミジ サウナのような浴室 放生池 唐門と釈迦堂前庭(盛砂) 絹本著色山越阿弥陀図 - 鎌倉時代の仏画。東京国立博物館に寄託。 金銅蓮華文磬(こんどう れんげもん けい) - 東京国立博物館に寄託。 絵画 絹本著色釈迦如来像・十大弟子像

岩屋寺 (京都市)

- 1864年)再建。本尊・大聖不動明王像の周りに赤穂四十七士の位牌が並べられている。 庫裏 宝物殿 - 大石内蔵助が使用したという文机や鍵付き貴重品箱、槍や茶道具などの遺品が保管、展示されている。 毘沙門堂 - 毘沙門天像の他、赤穂四十七士の像が安置されている。内蔵助が生前に四十七士の似顔絵を描か

十輪寺 (京都市)

ができ、裏山からは「なりひら桜」が中庭を覆うように咲く様を見ることができる。 庫裏 池 鐘楼(京都府指定有形文化財) - 寛文6年(1666年)再建。不迷梵鐘(まよわずのかね)と呼ばれ、自分で決心がつかず迷っている時にこの鐘を撞くと、決心がつく不思議な鐘とされている。 大樟樹

妙顕寺 (京都市)

妙顕寺文書(1,656通)60巻、74幅、1294通 附:蒔絵文書箱2合 金字法華経 巻第五(巻首伏見天皇宸翰) 後小松天皇宸翰消息 2幅 神国王書 日蓮筆 2巻 強仁状御返事 日蓮筆 大本堂 梵鐘 紺紙金字法華経 白紙金字法華経 紙本金地墨画楼閣山水図六曲屏風(狩野山楽筆) 玄旨伝法本尊(日蓮筆、建治元年(1275年)製作)

真如寺 (京都市)

一代、久岳昌長老而、後水尾院第六皇女也」とみえる。理昌尼以後、歴代門跡の理忠尼(高徳院宮)、理豊尼(本覚院宮)、理秀尼(浄照明院宮)や理欽内親王(三麼地院宮)も同寺に葬られている。 これらの間に真如寺に住持した主な禅僧には、古先印元、竺仙梵僊、明叟齋哲、惟肖得巌、天隠龍沢、了庵桂悟、彭叔守仙、別宗祖縁らがいる。

瑞泉寺 (京都市)

に秀次の首が納められていた石櫃を置いて塚とし、「秀次悪逆塚」との文字を刻ませた。しかし、後に鴨川が洪水を起こすと塚は流されてしまった。 しかし慶長16年(1611年)、京都の豪商角倉了以によって高瀬川を開く工事が行われている時に、流された「秀次悪逆塚」の石櫃が偶然発見された。実は高瀬川の開削責任者だ

華厳寺 (京都市)

は妙徳山(みょうとくさん)。本尊は大日如来。鈴虫を四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺(すずむしでら)」と呼ばれている。 様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじを履き、願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」、僧侶による参拝者への茶菓のもてなしと鈴虫説法なども有名で、京都市内の寺院の中でも特に

護国寺 (京都市)

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と詫び証文(わびしょうもん) - 江戸時代のある日、護国寺に泥棒が入り、金品を盗まれたことがあった。しかしその日以来、泥棒の夢の中に妙見菩薩が現れ「護国寺に返せ」と何度も告げた。恐れをなした泥棒は護国寺に戻って謝罪し、詫び証文を書いた。それ以後、妙見菩薩は開運と共に盗難除け守護として祀られ、詫び証文は今も護国寺に大切に伝えられている。

宝蔵寺 (京都市)

そもそもは弘法大師空海の創立であるが衰退した。文永6年(1269年)浄土宗の長西の弟子で千本釈迦堂第2世である如輪によって元西壬生郷に復興される。しかし再び衰微していたところ、天正9年(1581年)、玉阿律師によって再興される。天正19年(1591年)に豊臣秀吉

妙覚寺 (京都市)

妙覚寺(みょうかくじ)は、京都市上京区にある日蓮宗の由緒寺院(本山)の寺院。山号は具足山。本尊は十界曼荼羅。塔頭は善明院、實成院、玉泉院の3院ある。 日実は、もとは妙顕寺の僧であったが、教義や後継問題をめぐる寺内の意見対立のため同寺から離脱すると、信徒で豪商の小野妙覚

引接寺 (京都市)

引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町にある高野山真言宗の寺院。山号は光明山。本尊は閻魔法王。一般には千本ゑんま堂(せんぼん えんまどう)と通称される。春の念仏狂言で知られる。 引接とは仏が衆生を浄土に往生させることである。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であっ

本法寺 (京都市)

本法寺(ほんぽうじ)は、京都市上京区本法寺前町にある日蓮宗の本山(由緒寺院)の寺院。山号は叡昌山。本尊は三宝尊。塔頭が3院ある。 寺伝によれば、永享8年(1436年)に日親が本阿弥本光(清信)の帰依を得て建立した「弘通所」が始まりであるという。当初は東洞院綾小路(現・京都市下京区)にあったという。後に本阿弥家の菩提寺となっている。